官能と悦楽のイタリア○introduction○イタリアに行きたい・・・漠然とそう思うようになったのは、何時の事だったのか? おそらくそれは、毎年文化の日に、安田火災提供の「最後の審判の修復ドキュメント」を見ていたためか?と今にして思う。 かの有名なミケランジェロ・ブオナローティ作の巨大な壁画「最後の審判」はヴァチカンのシスティーナ礼拝堂に在る。この壁画は後世の画家により加筆され(裸像が多かったので「猥褻」とみなされた。そのため加筆により「前張り」されたようになっている)たことに加えて、礼拝堂に付き物の蝋燭の煤。コレが壁画そのものの色調を損なう結果となった。 んで・・・これらの汚れ・加筆を取り除いて、なるべくオリジナルに近い形で蘇らせようとした様子が10年あまり、毎年同じ日にTV番組として放送された。 番組では修復の様子だけでなく、イタリアのステキなところも随所に散りばめて紹介していた。 もともとルネサンスの絵画や彫刻に興味のあったワタシが、この番組をきっかけに「絶対、あそこに行って本物をこの目で見たい」と思うようになった。 そして、そんな思いを抱きつづけて×年後の1999年11月のことでありました。 その、憧れの地を自らの足で踏む事になったのは。 ○アモーレ・マンジャーレ・カンターレ○ イタリア語でそれぞれ、「愛する」「食べる」「歌う」の意味。なんでもイタリア人はこの3つの為に生きてる実に享楽的な人種らしい。 ・・・が、反面。人生を楽しむ術を知っていて、そのために労働があり、労働の賃金があるという考え方なのだ。働いて・くたびれて・たまにお休み、と言ったような日本人的なライフスタイルからはかけ離れている。 羨ましいぞ、イタリア人。ワタシも仲間に入れてくれ(笑) ○旅のスタイル○ 実は・・・この旅行がワタシにとっての初めての海外だったのだ(さぁ、笑え!)本当は好きな都市を気ままに回る旅に憧れてたのだが、治安の問題・言葉の問題・旅慣れの問題もあって・・・結局無難にパック旅行に収めてしまった。 いーのよ、別にパックでも楽しめりゃいいじゃん!てな感じで開き直るワタシ。 そして、旅行会社のパンフを漁る。イタリア1国だけのプランでも結構あるもんだ。 休暇はオマケして10日ばかり。先ずはその間にクリアできる日程でなければダメ。 次にどうしても行きたい場所を絞っていく。基本のローマ・フィレンツェ・ヴェネツィア・ミラノは押さえたい。しかし、サン・フランチェスコの街である聖地アッシジや城砦の街オルヴィエート、塔の街サンジミニャーノ、モザイクの街ラヴェンナなどなど・・・キラ星のように魅力的な小都市も多く、まさに苦しい選択(ーー;) 実際小都市めぐりをふんだんに入れたプランもあった。しかし、そのスケジュールの殺人的なことといったら・・・多分バスに乗ったまま「通過して」見学とか、そういうのがアリアリな雰囲気だった。 それに、行ったからには街を少しでも歩いて街の空気を感じたり、通りすがりのギャラリーや小さな美術館に、足の向くまま入ってみる・・・なんて事もやってみたかった。実際できるかどうかは別としても、そのくらいの心の余裕は欲しい。 そんなこんなで、ミラノ・ヴェネツィア・フィレンツェ・ローマの4都市に2日づつ逗留するプランをチョイス。 さ、後は自由行動の時間で何処に行くかを考えるだけ。でも美術マニアのワタシの事。行き先なんて簡単に想像つくでしょ? ○旅の支度○ ワタシは旅支度が苦手だ。おそらく旅慣れてないことに加えて、「〇〇が無かったらどうしよう?」という心配性な性格が災いしてるいるのだ。 今回もTPOに合わせなきゃ、と靴は3足、ジャケット1着、キレイ系のスーツ1着にトップとボトムを適当に足して・・・そしてトドメ。日本のお菓子(笑)「うまい棒」とポッキーを持参した。しかし、菓子は持っていって正解だった(伏線ですぞ)。食べてしまえば邪魔にならないしねぇ。 ○長靴持参で・・・?○ 時節柄、ヴェネツィアはアクア・アルタに遭うらしい。 アクア・アルタというのは高潮のことで、「シロッコ」と「ボラ」という季節風が潮の流れを左右するために起こるという。浸水すると広場と路の区別がつかなくなり、サン・マルコ広場などは運河と一体化したようになる。 出発日の数日前、ツアコンのヤマナカさんから電話があり、こう言ったのだそうだ(母が電話を受けたのさ)。 「高潮が出るかもしれないから長靴準備しておいてくださいね。あ、それと現地は寒いですから、厚手のコートと手袋を忘れないようにしてくださいね」 まるで、学校の遠足の前日に流れる連絡網みたいで笑ったが、実際彼女はとても親切な「ハナマルコンダクター」だったのだ。ステキな彼女のエピソードはまた後ほど。 ジャンル別一覧
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